さて2番目は、私らなら三ノ輪と呼ぶ地域で...俗称を「投込寺」というお寺のお話。
浄土宗、浄閑寺(じょうかんじ)は、安政2年の地震の際、新吉原の遊女を多数、投げ込み 同然にこの寺に葬った事から、この俗称があります。無縁の遊女たちの悲しい歴史が封じ 込められたお寺ですね。そういう遊女たちを思い、作家「永井荷風」は、度々ここを訪れて いて、寺域には荷風ゆかりの詩碑や塚があります。私らには三ノ輪としか思えない地域な んですが、このお寺のご門前の道が区境になっていて、ここは荒川区なんですね。そういえ ば区境にそって取材してるような感じになってます。前々回に取り上げた「羽二重団子」もこ のお寺も、かつての音無川に添った場所でした。 | |
明治、大正、昭和を生きた作家、文明批評家「永井荷風」の遺愛の品などを納めた塚。谷崎潤一郎らの提唱によって建てられたもの。 |
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こちらが新吉原の遊女たちを葬った総霊塔(上部に文字が見える)です。写真右手に銘版が見えますが、ここには花又花酔の「生まれては苦界、死しては浄閑寺」という川柳があります。苦界(くがい)とは、身売りされて落ちていった遊女の世界、つまり吉原などの遊興の街をさすのですね。今とはずいぶん、そういう世界に対する考え方、またその世界に生きる人々への、一般人の見方も違ったようです。 |
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こちらは永井荷風の、遊女たちに寄せる思いなどを綴った文の石碑。 大変長大なもので、うまく撮影できませんでした。上に挙げた塚と同じ く、総霊塔に向かい合う形で設置されています。 浄閑寺:荒川区南千住2-1-12 |
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