三ノ輪という地名は古く、江戸時代以前からあったそうです。
この地は、奥東京湾(現東京湾がさらに内陸部へ湾入していた当時の呼び方)に突き出た 台地の先端部であることから水の鼻(みのはな)といわれ、これがいつしか三ノ輪になった といわれています。昭和の初め頃まで、今は無い音無川にかかる三ノ輪橋(都電、荒川線 に現在も停留所あり)があったそうですが、昭和24年生まれの私の小さい頃には都電21 番系(北千住ヒ水天宮)の停留所としての三ノ輪橋、という記憶しか残っていません。 ここから今も残る荒川線(王子電車、略してオーデン)に乗り換えたもんです。王電入り口 の看板が、商店街の匂や、裸電球の明りとともに郷愁をさそいました。 | |
三ノ輪の史跡、江戸五色不動のひとつ「目黄不動」を安置する「養光山永久寺」の入り口。目白、目黒(以上はJR山の手線の駅名にも)目赤、目青、目黄の5色の密教思想を不動信仰にあてたもの、といわれています。「目黄」として指定されたのは1630年頃の事。お不動様は写真撮影が許可されないので掲載できませんでした。恥ずかしい話しですが、私、この特集を組むまで、ここにこういうお寺がある事を知りませんでした。 「目黄不動」は江戸川区にもう一つ、あるそうです。三ノ輪だって江戸市中じゃないけど、江戸川区が江戸だとは、どうしても思えない。なんでそちらが江戸五色不動に入ってるのか、選択基準を聞いてみたいもんです。 |
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こちらは永久寺さんのご本堂。いかにも江戸期のお寺、それも下町のお寺という雰囲気ですねぇ。こちらにはご本尊が安置されています。ちなみに「目黄不動」様は、この左に隣接する不動堂においでになるそうです。お不動様のご縁日、毎月28日に開扉されるはず。 |
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これは永久寺の不動堂軒下にかかる、奉納のお札。千社札の本物、というと お札を貼り歩いてる趣味の方々に叱られるかもしれませんね。木製で、枠に 収まっている、なかなか江戸情緒たっぷりのものです。いつごろの物なんだろ うなぁ...なにせお寺では、なにも聞く事ができなかった... 永久寺:台東区三ノ輪2-14-5 |
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