「子規庵」内部から玄関を見たところ。 私もまさにこういう環境で生まれ育ったんだ、という懐かしい感慨と 子供の頃には感じなかった「なんだか暗いなぁ(実際の採光の事)」 という思いを持ちました。 たしかに冬の午後の弱い日ざしでは、ガラスが高価だった当時の家の中なんて、こんなもんだったんでしょう。 そういえば今の「子規庵」の縁側の引き戸に入っているガラスは、子規のお弟子さんたちが共同で子規にプレゼントしたものだそうです。 体調のすぐれない身にとって、紙の障子一枚へだててすぐ外では、やはり寒さがこたえたんでしょうね。子規は大変喜んだそうです。 それにしてもいい話しだなぁ・・・・。 写真は「子規庵保存会」さんのパンフレットより。 |
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子規の写生画「天竺牡丹」の部分 子規は体調をくずしてから絵をよく描いていたようです。 向いに住んでいた洋画家の「中村不折」から手ほどきを受けて、写生画という技法で、庭に咲く草花や果物などをたくさん描いています。 この絵は、明治35年8月1日から始めた「草花帖」という画集の中の1作で、8月16日の署名があります。 |
明治30年12月24日「子規庵」のぬれ縁に座る「正岡 子規」 |
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