下町こだわりガイド:第三回の参
「呉竹の里」「芋坂」周辺・・・下町ことば


子規の住んだあたり「上根岸」と「芋坂」の現在・・・

上根岸の不思議空間です。
上に見えているのは「京成線」の高架です。この奥、左の方はJRの線路ぞいになっていて、さらに民家が建っています。

手前自転車の左方向に「子規庵」があります。子規が今住んでいたら,今のこの上根岸を見てどう感じるんでしょうか。

ガイドマップの赤いポイントの位置から線路の方向に向って撮影しました。子規庵で一緒だったオバチャングループの邪魔が入った(笑)

台東区根岸2-9の児童公園あたりです。生活のにおいがプンプンただよう、まったく私でさえ知らない不思議な空間。

ここが唯一「芋坂」という名前の残る場所です。
団子屋さんの裏の道をJRの線路に向ってゆくと跨線橋がありますが、こっちがし(こちら側)には名前もなく、線路を渡ったむこうっかし(むこう側)の上野の台地の方に、唯一この道標が立っています。子規の句など引用してあるのですが、見向きもされないような所にあります。この写真を撮影している背中側がJRの線路と跨線橋になってます。写真奥の方に見えるのは、谷中「天王寺」さんの霊園です。   
漱石の作品「我が輩は猫である」にも「芋坂の団子が・・・」というのが出てきます。天王寺の五重塔は「幸田露伴」の作品もありますし実にこのあたり、文学の香りたかい地域なんですなぁ。                                 

「御隠殿坂」道標と跨線橋
上の「芋坂」から鴬谷方面に向って、谷中霊園の中(天王寺霊園と繋がってます)を線路ぞいに行くと、ここに出ます。
「御隠殿」とは、寛永寺の住職で輪王寺宮法親王の別邸の事だそうで(よくわからん表現です、すいません)つまり山の下っかわ、今の根岸の側に別宅を造ったのですね。で、この時期が江戸中〜末期の事らしく、当時この場所には根岸に通じる道がなかったため、坂を造らせた、というのが「御隠殿坂」の由来です。明治16年に上野駅が開業,このため坂は取り壊され、今の御隠殿坂跨線橋となるわけです。子規も当然、この鉄道を見ながら暮らしていたのですね。
まぁしかし、この「御隠殿坂」なんて場所は、地元のもんでもなかなか覚えちゃいない所で、「あそこの陸橋」とかって言ってますね。取材してみて、やっと跨線橋に名前が残っているのを見つけました。
霊園の際とはいえ、跨線橋の上も、霊園の坂あたりも、なかなか風情のある、いいとこですよ。とくに私ぁ跨線橋の上から電車を見るのが好きだったなぁ。(御隠殿は、根岸薬師寺内に碑があり、ここに広大な屋敷があった事を物語る絵図もある・・・台東区根岸2-19-10)


昔の下町ことば

こっちがし・・・こちら側

むこうっかし(むこうがし、とは言わない)・・・むこう側

これっぱかし・・・この程度。この程度のもの。

これきしゃない(少年語)・・・これしかない

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