下町こだわりガイド:第三回の壱
「子規庵」の詳細情報

「正岡 子規」の東京根岸での住居「子規庵」は、旧前田家の御家人の長家の1つだったそうで、
日本新聞社(子規はここの記者)の社長、陸羯南(くが かつなん)の西隣、下谷区上根岸88
番地に2年間住んだあと、東隣の82番地に移って、亡くなるまで家族とここで暮らしたよう
です。前田家から子規の遺族が、家屋を買い入れた後、土蔵を建てて保存をはかり、財団法人
「子規庵保存会」として昭和3年認可されています。現在の建物は昭和20年に大戦で焼失し
たものを昭和25年に再建したものだそうです。この根岸以前に子規がどこに住んでいたのか
は、本郷の大学周辺を転々としたあと・・・より詳しい事は知り得ませんでした。  

「子規庵」のお庭です。有名な糸瓜の句に出てくるヘチマが下っています。病床で毎日、眺めていたんでしょう。この写真は子規庵保存会さんのパンフレットよりお借りしました。 こちらは平成12年3月の「子規庵」のお庭。「子規庵」内部は撮影できないためお庭のみ、子規庵内から撮らせて頂きました。少しだけ「子規庵」内部の雰囲気、下町の町家っぽいのがお判りいただけると思います。隅のほうにチョコっとヘチマの枯れたようなのが写っています。私も子供時分には、こんな感じの家で育ったもんでした。

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