「呉竹の里」の雰囲気が、そこはかとなく漂う・・・ | |
中央に見える石の道標は江戸時代のものか。 「王子街道」の文字。 左手の道は、かつて音無川だったと古い地図にあります。 道標の右側には「いも坂みち」と書かれています。 江戸から明治にかけてこのあたりを「芋坂」と呼んだそうで 漱石の小説にも登場する地名です(小説名を調べておきます) この写真右手の道をJRの線路に向かってゆくと、今はもう なくなった坂道の名残りが感じられます。JRの線路に突き 当たって、左手に線路沿いに鴬谷方向に行くと、跨線橋があ ります。たしか「JR芋坂跨線橋」と言ったと思うのですが 線路のこっちがし(こちら側)つまり坂下側(山の手線の外 側)の階段口には、なにも名前が書かれていませんでした。 次回掲載までに反対側の階段口を調べておきます。 |
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こちらは当時の商売家の店先。
ずいぶんきれいに保存されていました。 通い帳だの大福帳だの、ところ狭しと並んでます。 徳利や「銘酒」の文字が見えるから、お酒も出したんでしょう。 もしかすると旅人のために「わらじ」なんかも用意していたのかも。 手前の煙草盆は現代人のためのものです。 ここで一服つけた感じを味わえるのも一興です。 そういえば子規はこのあたりに住む前は、 今でいう文京区根津に住んでいたらしいんです。 |
昔の下町ことば・・・今回は、道に迷った私のセリフで | |
・・・っったく、どしてこんな狭っくるしい道ぃ迷いこんじまったんだろ
どっちぃ向いてもホテルの看板だらけじゃねぇか 道ぃ歩いてるバァサンに聞いたって「そっちぃまっつぐだよ」 「まっつぐって、あの芸なし芸人ちの並びかい?」 「そうそう、あのWoods Houseの並びさ」 って教ぇてくれるんで、まっつぐ来てみたけど、ありゃぁしねぇじゃねぇの・・・ こちとら根岸に住まって120年ってぇコケの生えたような江戸っ子だってぇのに、根岸にもこんなワケぇわかんない場所が、まだあったんだねー・・・お、犬ぅ連れたきれえなねぇさんが来た 「あの、すいません、ここらに子規庵ってのがありましょうか?」 「はい、子規庵なら、こちらへこう曲がって、さらにこう曲がって・・・」 「どうも有難うございます」 なんだい、さっきのバァサン、うそばっかし言ってるんじゃねぇか というわけで、散々迷ったあげく、子規庵にたどり着きました。 |
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