この刊行発売直後に、芥川が自宅書斎を改装などしたため、
当時の文壇では「芥川はこの刊行で大儲けしたのではないか」という噂が流れ、
徳田がこの刊行にあたった出版社に抗議しました。
これに芥川が対応し、徳田にあてて七通ほどの書状を送っていて、
その中には「小生の粗忽、申し訳ありません。」
また別に「出版社と交渉した結果、別便の通りわび金をお送りする・・・」
というように、徳田に誠意を尽くそうとしています。
また「胃腸の調子がぶり返し、難渋して・・・」「仕事が捗らず、困って・・・」
という様に、徳田に苦しみも打ち明けているようです。
この手紙は1925年12月、1926年4月などに出されています。
この事件の後から芥川は不眠、神経衰弱などに悩み、
1927年7月に自殺していますが、この原因解明に大きな発見と見られています。
(手紙の文章は原文ではありません)